「あの日から4年」

昨日、学生時代の友人と久しぶりに食事をしながら、4年前のあの日の話をした。
お互いそれぞれの仕事先でその瞬間に遭遇し、
それぞれに過ごしてきた、これまでの日々を振り返った。


4年経った今でも鮮明に覚えていることに思わず涙し、
思い出そうとしてもどうしても思い出せない程、無我夢中に過ぎたあの頃に思いを馳せた。


そしてあの日から4年が経った今日、朝日新聞の 「天声人語」 に、目が留まった。


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ある所で起きたことを、地名とともに象徴的に表す言葉がある。
サッカー界に 「ドーハの悲劇」 があり、東日本大震災後は 「釜石の奇跡」 が広まった。
岩手県釜石市で小中学生が率先して避難し、ほとんど無事だったことをさす。


その陰の悲劇を、今まで知らなかった。


学校にいた児童全員が助かった鵜住居小で、1人だけ職員室に残って犠牲になった
女性事務員の事である。


犠牲になった女性の夫は、「釜石の奇跡」 という称賛を聞く度に、
妻の存在が消されるようでつらかったそうだ。
児童の親からの電話に備えて残ったらしい、としかわからない。


夫の思いをくんで、市は 「釜石の出来事」 と表現を変えたという。


震災は一人ひとりに、それぞれの形で降りかかった。
当たり前のことに、あらためて思いが至る。


あの日から4年。


時間の速度も万別だろう。歩む速度もまた、人それぞれだ。
立ち直る人のいる一方で、いまも惨に耐えるような心境の方もおられよう。


この日を節目に出来る人ばかりではあるまいが、ここは少しでも前を向きたい。
捧げる鎮魂の祈りとともに。

(2015・3・11付 天声人語より抜粋)
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数日前の新聞に、津波で児童ら84人が犠牲になった、石巻市の大川小学校の被災校舎について
住民集会でアンケートを行った結果、「震災遺構として保存する」 が多数となったことを受け
地区の総意として正式決定し、市に要望書を提出することになったと報じられていた。


震災遺構の保存をめぐっては、遺族や住民の間で
「教訓を後世に伝えるべきだ」 「つらい記憶がよみがえる」 など、賛否が割れ、
そうした中で行われた住民アンケートであり、その結果である。


市が、この要望書を受理して震災遺構として保存するかどうかは、まだわからないが
はやり、どちらかに決めなければならない時、多数決が有効なのだろうか?


一人の人の思いを酌んで 「釜石の奇跡」 を 「釜石の出来事」 に変えたように
数だけでは決められない 「声の重み」 もあるのでは・・・と私は思う。

これが、あの日から4年経った、私の思いです。
皆さんにとって、この4年はどんな年月でしたか? そして今皆さんは何を思いますか?


梅.jpg


★「震災から2か月」 http://www.stage-up.info/person/cat1/post-34.php
★「被災地の人になって」 http://www.rodoku.org/news/201107rodoku.pdf
★「被災地での朗読ボランティア」 http://www.rodoku.org/news/2012spring.pdf
★「朗読ボランティアの報告」 http://www.stage-up.info/person/cat1/post-53.php

★「あの日から1年」 http://www.stage-up.info/person/cat1/1.php
★「あの日から1年半」 http://www.stage-up.info/person/cat1/1-1.php
★「朗読と涙」 http://www.stage-up.info/person/cat1/post-69.php
★「白いネクタイ」 http://www.stage-up.info/person/cat1/post-70.php

★「震災番組出演」 http://www.stage-up.info/person/cat1/311.php
★「忘れないということ」 http://www.stage-up.info/person/cat1/post-78.php
★「震災番組に思うこと」 http://www.stage-up.info/person/cat1/post-172.php